稲荷山古墳(5世紀後半 前方後円墳 全長120m)

国宝に指定されている金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)が発見された古墳。鉄剣は昭和43年の発掘調査の際に出土し、10年後(昭和53年)の保存処理作業の折、レントゲン撮影をしたところ、銘文を発見。(115文字)昭和58年に国宝に指定された。

丸墓山古墳(6世紀前半 円墳 全長105m、高さ18.9m)

日本最大の円墳。1590年の忍城水攻めの際に石田三成が本陣を敷いたところとして知られている。(石田堤の跡がある)近年、前方後円墳であったのか調査をしたが、円墳であることが濃厚となった。

二子山古墳(6世紀前半 前方後円墳 全長138m)

二子山古墳は、武蔵国(現在の埼玉県・東京都・神奈川県の一部)で最も大きな前方後円墳です。造られた時期は6世紀前半と考えられてます。

将軍山古墳(6世紀後半 前方後円墳)

 明治27年に発掘され、現在は「さきたま史跡の博物館」として展示。横穴式石室より銅椀、飾り太刀、馬具などが出土している。造られた時期は6世紀後半と考えられています。
※馬冑は全国で2例。蛇行状鉄器(馬の旗指竿)

金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)

 (表面)辛亥の年 7月に記す 私はヲワケの臣 いちばんの祖先の名はオホヒコ その子はタカリノスクネ その子の名はテヨカリワケ その子の名はタカヒシワケ その子の名はタサキワケ その子の名はハテヒ
(裏面)その子の名はカサヒヨ その子の名はヲワケの臣 先祖代々杖刀人首(大王の親衛隊長)として大王に仕え今に至っている ワカタケル大王(雄略天皇)の役所がシキの宮にある時 私は大王が天下を治めるのを補佐した この何回も鍛えたよく切れる刀を作らせ 私が大王に仕えてきた由来をしるしておくものである。
辛亥の年( 西暦471年) 。獲加多支鹵大王。寺(役所)在斯鬼宮(斯鬼は奈良県磯城郡、初瀬朝倉宮があった所) 。等の文字からワカタケル大王は雄略天皇とされている。
また、それ以前に熊本の江田船山古墳から発掘された太刀にも同じような銘があったが、こちらは文字の一部が欠けており判読できなかったが、稲荷山古墳の鉄剣が出たところから、同じワカタケル大王と推定されている。 江田船山古墳の太刀銘 「獲□□□鹵大王」

奥の山古墳(6世紀半ばから後半 全長70m)

8基の前方後円墳の中で、第7位の規模で、後円部西側には出島状の造り出しがあります。いままで堀は他の一重の釣り鐘形とされていたが、他と同じ四角い二重堀と判明した。堀からは、墳丘などから武人、馬に乗る男子などの人物埴輪、馬型埴輪、円筒埴輪などが発見されています。

中の山古墳(7世紀、埼玉古墳群の前方後円墳最後 全長79m)

中の山古墳(7世紀、埼玉古墳群の前方後円墳最後 全長79m)見た目は地味だが、変形六角形の2重周堀を持つという珍古墳。小見真観寺古墳との形態が似ていることも指摘されている。また、くびれ部付近の周堀からは「須恵器質埴輪壷」、すなわち須恵器を焼く技法で埴輪として作られた壷が出土して、前方後円墳としては群中で最も新しい7世紀前葉頃の築造の可能性が出て来た。
※出土した壷は寄居の末野の窯で焼かれたものである。

愛宕山古墳(前方後円墳 全長53m)

 bQの実力者が埋葬されている。埼玉古墳群の中で、もっとも小さな前方後円墳。全長53mです。ただし、二重の堀はしっかりとめぐらされています。かつて、墳丘上に愛宕神社が祀られていたことから、この名前に。

鉄砲山古墳(前方後円墳。6世紀後半)

二重の堀(台形)があったことが確認されている。 主軸長 109m  後円部径 55m 高さ 9.0m前方部幅 69m 高さ 10.1m埼玉古墳群で3番目に大きい古墳。鉄砲山の名は、忍藩(現.行田市、松平十万石の城下)の砲術演習所があったことに由来する。忍藩は幕末には、江戸湾警備なども務めている。 なお、地元の古老は鉄砲山ではなく、御風呂山と呼んでいるそうである。

瓦塚古墳(全長73m 移築民家裏 bQが眠る)

古墳群中6番目の大きさの中型前方後円墳。明治時代の初期、付近に瓦工が住んでいたことから、この名がある。6世紀前半の二子山古墳と並行する時代に築造されたと考えられている。二重の周濠が台形にめぐっており、西側くびれ部分の造り出しからは多くの須恵器が発掘された。他に円筒埴輪、盾形埴輪、武人埴輪、弾琴男子埴輪などが発掘されている。


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